1971-04-22 第65回国会 衆議院 社会労働委員会 第17号
でございますので、ことしの八月の概算要求のときには、いまここで幾らと申し上げないほうがよろしいのでございますけれども、私にも腹づもりがございまして、そのくらいはぜひ引き上げるように大蔵省に強硬談判をいたしたいと思います。 ただ、これは掛け金が伴わない無償の年金でございますために、結局全額が国庫負担でございます。
でございますので、ことしの八月の概算要求のときには、いまここで幾らと申し上げないほうがよろしいのでございますけれども、私にも腹づもりがございまして、そのくらいはぜひ引き上げるように大蔵省に強硬談判をいたしたいと思います。 ただ、これは掛け金が伴わない無償の年金でございますために、結局全額が国庫負担でございます。
昨年の予算ですか、各省が予算の折衝をしておるときに、この建設委員有志が集まりまして、相当政府に強硬談判いたしたのでありますが、そのときの政府の考えというものは、その団体に対して建設族であるとかいう——建設族というのは一体尊敬して言ったのか、あるいは罵倒したのかわからないが、大体想像するのに罵倒の言葉であったというような状態が、その当時現われましてわれわれは非常に残念に思ったのですが、この国家の治水方面
その放射能の被害が大へんであることは学者がみな発表しておるのでございますが、ソ連に対しても当然に特使を派遣するなり、われわれはもしできることなら、総理みずから乗り込んで行かれて強硬談判をなさるべきが至当であると思う。何にしても、日本は広島、長崎において動物扱いをされ、ビキニにおいてモルモット扱いをされておる。
私あたりはもっぱら小菅へもう一ぺん帰せというので強硬談判をやって、こっちはあまり悪びれない方だからその願いがかなえられたこともあるんです。それから少しなにすれば、当時佐野学さんなども私の前に入っておったけれでも、こういうたぐいの連中は司法大臣面会でも何でもやるんです。ですからまあ事実上給与をよくされました、これらはほんとうに。
譲らなければこうすると言って、半ば威嚇いたしまして、憲兵と労務課の警部がやってきて、強硬談判でその土地、建物等を取り上げてしまった。実は価格は十八万円ときめたのでありますが、中に変な者があって、向うにくっついて、土居さんの手元へ入ったのはわずか六万円。時価二億円ないし二億五千万円に相当するものを官憲干渉のもとに取り上げてしまった。だから土居冷凍はその場を退いて隣の今の冷凍のところへ引き下った。
大臣のところへ押しかけて来て強硬談判するところは威勢がよくていい、そのほかに文部省内に三千枚もビラを張つて騒いでおるところを、見本の気持になつて子供に見せたらどうだ、どういう社会教育になるかということを、あなた方は御研究になりましたか。私は教育にいささか関係を持つておる者だから、深い関心を持つのです。こういうことを子供は批判するのです。多数の手紙が私のとこちに来ておる。
私が先般来政府のやつておられるところを、答弁なり、また新聞の報道なり、いろいろな面から検討いたしますと、講和独立を迎えて、戰犯の問題を全面的に、軽い者も重い者も、全部あらゆる諸外国に向つて、これをむしろ強硬談判と申しますか、強い意味の勧告をした場合には、あるいは対日感情が悪くなるのじやないか、従つて戰犯者にも不利になる、だからできるならば、ひとつ軽気球を上げるようなつもりで、この求刑に対して何分の一
しかも大蔵省の主計局長に私は強硬談判をいたしましたところが、水産庁当局とも少し打合せて、何とかしたいと言つておる。しかも水産庁においてこれにはほんとうに熱意があるのだつたら、もう少し流用の仕方もあると言つておる。水産庁の長官は、具体的に調査費をどういうふうにして出そうかというお考えをなさつたことがありますか。
ドツジさんになぜそこを強硬談判しなかつたのですか。ドツジさんに日本のインフレを防止するには、ここに原因があるのだから、どうしてもこの輸入のほうをしてくれなければならん。インベントリーという形でインフレを防止したのでは筋違いである。この点をどうして強調されなかつたかと思うのです。大蔵大臣の今の日本のインフレの見方というものは、私はそういうような漫然とした見方ではいけないと思う。
むろん警察へ行くということは考えて來たのだが、初めから警察の官舍をたたきこわすとか、あるいは乱入して、警察署長を監禁して強硬談判するとか、そういう考えでなかつたということは明らかであります。 その点補足しますと、内郷の人たちが三時半ごろ平署へ行つたわけです。それは自動車に乘つて行つた。そうしてあそこの平署は私も見ましたが、新築したばかりで、横にはバラスを敷いた道路がある。